指揮者 古莊恭啓 FURUSHO 

(Conductor・Dirigend : FURUSHO Takahiro / Home page)

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はじめまして


ようこそ、指揮者 古莊恭啓(FURUSHO Takahiro) の公式サイトへ!

東京を拠点に、日本のみならずその活動の場を世界に拡大中の
私は、紆余曲折の人生経験で育んだ音楽感性をベースに指揮を執る「異色の指揮者」です。
是非私について何かを感じ取って下さい!



画像の説明撮影:スタジオスペースフォト


古莊恭啓・波瀾万丈の人生



~音は末広がり、8つの小節~


第1小節 ♪憧れのプロオーケストラに入団

第2小節 ♪大阪センチュリー交響楽団時代

第3小節 ♪退団~フリーランス時代

第4小節 ♪転職①会社員

第5小節 ♪転職②タクシー運転手

第6小節 ♪転職③小中塾非常勤講師

第7小節 ♪指揮は人生修行

第8小節 ♪これからも ‶ 一期一会を大切に ”



第1小節 ♪憧れのプロオーケストラに入団



小学校時、厳しくも教え方の大変丁寧な近所の勝村克子先生にピアノ演奏を習いましたが、
遊びに夢中で練習せず、よって上達もせず……。
しかし、勝村先生は忍耐強く教えて下さいました。

東京都千代田区立九段中吹奏楽部でホルンと出会い吹奏楽の楽しみを覚え、明治大学付属中野高に進み体育会系の勢いの音楽部で三年間をやはり部活動でホルン演奏に明け暮れ、音楽科教諭・吹奏楽指導講師・音楽教育実習生等々素晴らしい指導者に出会い、ホルンと言う楽器とその
アンサンブルの楽しさを教わりますますのめり込み音楽大学を目指します。
何とか武蔵野音楽大学に入学を許されたものの、同級生・卒業生含む諸先輩方・折りにして
出逢う他の音楽大学生の高い演奏技術に驚嘆、悔しさ相まって練習に励む毎日でした。

ただひたすら闇雲に時間ばかり費やす練習をする日。ある日レッスンを見学させて頂いたホルン講師の指導に魅かれました。その後様々な事を教わる事となる東京都交響楽団員伊藤泰世先生。渡米しシカゴ交響楽団首席奏者デイル・クレヴェンジャー氏の許で培った様々なアィディアに
よるその指導は斬新且つ的確で、そのご指導にのめり込み更なる練習漬けの効果が確実に蓄積
され、三年次終わり頃には多くの同級生には及ばずとも以前と比較にならぬ演奏技術の程度へと変化していました。

大学院に進んだ際は、ハンブルク国立歌劇場・バイロイト音楽祭でひとつの時代を作った
ハインリヒ・ケラー教授の来日滞在に伴いレッスンを受講しましたが、豊富な演奏経験は言葉の壁を超え私に新たな変化をもたらしてくれました。
また、天才的二番奏者と謳われたNHK交響楽団員一色隆雄先生の許で学外個人レッスンを受け原点に返り一音を奏すことから始め、更なる演奏技術詳細を吸収しました。
またアメリカから来日滞在中のロバート・バート教授の室内楽レッスンも受講する事で、
アンサンブルの実際から繊細な様々な形態の活きた音楽を学ぶ事が出来、それは英会話と共に
演奏の実践を学べたとても素晴らしい時期で、音楽に関する事のみならず毎日全てに夢中。
更に幸いな事に国内プロフェッショナルオーケストラ、またフランス国立カンヌ管弦楽団
日本公演等々のエキストラ出演依頼を頂き実戦の技術向上に精進する日々でした。

そんなある日、「コバケンさんこと小林健一郎氏指揮・京都市交響楽団フランス公演」への
エキストラ出演の依頼が在り、中学校修学旅行以来の京都移動〜練習を経てメンバーと共に
空の人と成り、初めてフランスの地を踏み、花の都パリはプレイエルサールやオーランジュの
野外ステージで演奏したのですが、行程中に首席ホルン奏者:野田篁一氏からホルン奏者募集
オーディションの話を聞き及び、フランスから遥か遠く・日本人として国内なのにまだ知らぬ
関西に対し深い興味を抱いたのです。この公演参加による報酬で以前から確定していた
「世界ホルン協会ミュンヒェンシンポジウム参加」の費用を賄えたのは実に幸運で、
日本はもとより世界各国のホルン奏者との演奏・寝食共にする時間を満喫しました。

運命の時…それは大学院二年次半ばの秋ひょっこりと訪れました。
何気なく目にした就職募集要項学内掲示板に ‶ 大阪府管弦楽団二・四番ホルン奏者追加募集 ” と在ったのです。新設された事は既知でしたが、初回募集には学業関連でどうしても応募を
する事が出来なかった為迷わずに出願しました。
カンヌ管日本公演~京響フランス公演~オーディション・・・
今思えば何かの兆しはこの関連だったのかも知れません。
大阪は箕面市メイプルホールで行われたオーディションを終え、伴奏者Y氏と帰る新幹線の
車窓越しの真っ赤な夕陽に映える京都の五重の塔に何かまた新しく始まる予感を感じつつ、
しかし何かは解らず帰宅、夕餉に鳴った電話……なんとオーディション合格の一報!
昭和一桁生まれの厳格な親父が珍しく合格祝いにビールを注いでくれ乾杯、
秋の夜は更けて行きました。

第2小節 ♪大阪センチュリー交響楽団時代



憧れのプロオーケストラに入団を許され夢の第一歩が叶った嬉しさと喜びに溢れ、
大阪は箕面市へと転居、プロフェッショナルとしての仕事開始です。

しかし、プロの世界はやはり甘くありませんでした。
そう簡単には思った音が出ず……様々な失態を演じ乍、しかし世界の指揮者の方向性を
つぶさに感じ取りつつ、平均年齢二十四歳と若いメンバーと場数を踏みつ力をつけました。
大阪府から府民へ団名称を公募し、披露演奏会では ‶ 大阪センチュリー交響楽団 ” へと
変わりました。(現: 日本センチュリー交響楽団 )

本拠地大阪センチュリー交響楽団での仕事の他、東京を始めと国内各地のオーケストラ・
吹奏楽団へのエキストラ出演・アンサンブル・音楽祭・録音録画等スタジオワークに於ける
依頼も増え、また海外オーケストラ日本ツアーにも度々出演させて頂き、飛行機・電車・
ある時はハンドル握り移動しての同業者との共演・会話や食事は国籍問わず貴重でした。

大阪センチュリー響アメリカ演奏旅行では西海岸サンフランシスコ〜サン ルィ オビスポ
〜ロス エンジェルス〜シカゴ〜ボストンと東海岸へ移動、最終地ニューヨークでは
音楽の殿堂カーネギーホールでの演奏。
自由の国での二週間は想い出深いもので、全てが刺激的で臨場感溢るるものでした。

在団四年目に転居した兵庫は西明石市で、実は前兆が以前から在ったのにも拘わらず
誰も気が付かなかった、あの忌まわしい阪神淡路大震災に遭遇しました。

運命・悲愴感・恐怖……何より人の心の温かさ・別れ、そして一度しかない人生を感じつつ、
ある時は阪神間直を避け一旦日本海側に出て9時間費やし大阪服部緑地の楽団練習場に通う中、自分の可能性を知りたくなり、あるオーケストラのオーディションを受けましたが不合格。
然しそれも経験のひとつと解釈し、更なる熟孝の上フリーランスでの生活を選択。
大阪・兵庫と楽団に別れを告げ帰京したのは、三十歳の晩秋でした。

第3小節 ♪退団~フリーランス時代



想い出沢山のセンチュリー響生活を終え六年ぶりに帰京し、フリーランスホルン奏者
としての新生活が始まりました。

国内津々浦々の演奏団体への客演・ミュージックキャンプでの演奏技術指導・
木管&金管五重奏等アンサンブル・録音録画等スタジオワーク・イヴェント等の依頼が加わり、また数々の海外演奏団体日本公演の依頼を頂戴し更なる充実度を増したこの間も、
プロフェッショナル・アマテュア問わず楽器演奏する実に多くの音楽を愛する人々と出逢い、
社交的発展が形成されましたが、気がつけば八年ほどが「あっ」という間に経過しました。

第4小節 ♪転職①会社員



同じ頃、有難い事に一般職への転職紹介等をして頂く事が増えます。
それと並行し、七十歳と言う現世では比較的早い父親の死を機に己の将来についても考えるようになったある日、これまでの演奏現場等の人脈を活かしつつ安定収入を見込む会社員としての
更なる新生活を選択し、所有楽器数台全てを処分し気持ちを一新、会社員生活が始まりました。

ところが、営業マンとして外回りする内に「自分は、余りにも音楽以外で知らぬ事が多い」
という事に気がつきます。それ迄は演奏技術を通じ人に指導をする事の多い立場でしたが、
指導すると言う事は同時に自分が教わる事で、その経験から「既に鍛練された自分がで居くてはならないのに」と、そして「相手の要求する事は何か?」始め、兎に角目前の事に対し悩み、
其れ等全てが解けぬ糸へと固まっりカラカラと音を立てて頭の中で回って居る……。

重苦しさを感じ体調が悪化し通院開始、もう直ぐ転職一年目と言う頃退職を余儀無くされ、
非力さから多くの人に迷惑をかけた「自分は無責任」と言う罪悪感から、自宅で自問自答を
繰り返し通院する数ヶ月……。

第5小節 ♪転職②タクシー運転手



茫然自失で過ごす日々…既に音楽は何処かへ消えていました 。

しかし生活が在ります。とある都内のタクシー会社で面接を受け働く事を決め二種免許を取得、ハンドルを握り昼夜の巷へと繰り出し、手を挙げて頂き或いは配車無線で多くのお客様にご利用頂く数ヶ月が過ぎた頃、配車無線でとある大層変著名なお客様にご利用頂きますが、驚いた事にそのお客様は私の以前の職業を大まかに言い当てました。

年齢はほぼ同じ、鍛えられた身体とパイオニアとしての経験やその会話に私は感嘆しましたが、現役アスリート氏は最後に二つの事を口にされました。

ひとつめ…「同じ世代なんだから共に頑張ろう!我々オヤジ世代は邁進しなくてはならない…!」
これは私古莊に対して。

ふたつめ……「己の為に現役続行を続ける、必ずやり遂げますよ…!」
これはアスリート氏ご自身に対して。

降車の際、「明日とその先に進んで下さい。激励の意を込め貴方を見送りたい…」と口にされ、ドアが閉まり発車後後方確認の為ルームミラーに目をやれば、そのお客様は私の運転する
タクシーに向かい頭を下げてお見送り下さったのです。
私は角を曲がるとブレーキを踏み涙を拭うのみでした。
誰もが知る未だ現役のアスリート氏は…?…ご想像に、としましょう。

道を覚えられずお客様から不満を伝えられる事は勿論ありましたし、それはひよっこ運転手の
私が地理勉強不足だからです。アスリート氏との出会いを機に、スポーツ選手が基礎練習を
する様に、基本の安全運転をひたすら心掛けました。
しかし、以前からの精神状態の継続に加え慣れぬ長時間ドライヴァー生活に体調悪化は進行し、不眠・異常発汗・胃腸の不良状態等々が止まらず、運転にも影響があった為止む無く休職、
回復せず床に伏せる日々が続きます。
約一年で再び退職、本当に情け無く悔しさ山積でした。

第6小節 ♪転職③小中塾非常勤講師



相変わらず音楽とは疎遠な日々。
しかし家にこもってもいても事態は改善しません。

ある日、中学校非常勤講師の話が在り頂戴し、かなり躊躇しつつも「一歩前進しよう」と
面接を受けた処採用となり、都内区立中での勤務に自宅から毎日約2時間通勤電車で
音楽辞典を読みつつ通いました。

生徒諸君との授業や部活動は体調改善への特効薬で、あっという間に精気・元気を取り戻す事が出来ました。学校長始めとする教職員皆さんのご指導があった事は勿論ですが、得に三年次学年主任の先生には丁寧にご指導頂きました。それに何より生徒諸君との毎日・そして父兄の皆さんの温かいご支援の心が在ったからでしょう。
年度末まで勤務し、卒業式後に学校長から「本採用目指し再挑戦してはどうか?」と
問うて頂き真剣に考えましたが、数年ぶりにBEETHOVENの交響楽を何気無く聴き乍、
音楽演奏活動にもう一度触れたくなっている己が居る事に気が付きました。

その後幾つかの小・中学校で非常勤講師として勤務をし、学習塾塾講師として小学生や高校受験を控えた中学生の学習指導にも携わり己も勉強し、ある小学校の勤務を終えた三月、以前から
有った脇腹と肩の痛みに大きな異変を感じ、受診した処胆石による胆嚢全摘が必要との事で入院・手術。その数日間は、それまでの人生で最も深く考えた時であり、それは‶ 家族・人生・
音楽演奏との再共存 ” 等々で、同時に再生への気持がしっかりと固まった時でした。
以来、加えて体調管理にも改めて留意、ストレッチ運動やウォーキング等の日課を
毎日小一時間実施しています。

この時期は、パートタイム(コンビニエンスストア・ガソリンスタンドと喫茶部・事務受付等)にも従事しましたが、そこで出会った方々は社会人としてきちんとした立ち居振る舞いを
されている事が多く、それは相当の ‶ 思考の糧 ” となりました。

第7小節 ♪指揮は人生修行



退院後程なく、とある大学管弦楽団から指揮依頼を受け赴きました。学生諸君の向上心…それは敢えて言葉にすれば ‶ オーケストラ作品演奏に対する熱心さと謙虚な態度 ” と言う事でしょうか、術後の痛みも何処へやら練習に明け暮れ共にステージを重ねました。四十半ばで在った私は「社会人予備軍の学生諸君に大いに学んだ約六年」と今でも思います。

我が国のプロフェッショナルオーケストラの優秀の程は先刻ご承知でしょうが、
社会人、或は数多くの学生・中高生団体の中にも音楽を愛し練習熱心で進捗率も高く、
結果素晴らしい演奏を創り出す…そう言った楽しみなオーケストラが数多く活動しています。
また、演奏現場ではオーケストラ在籍やフリーランスホルン奏者として様々な演奏形態に
触れた事や、人生経験そのものが大いに活きる事を再確認しました。

第8小節 ♪ ‶ 一期一会 ” を大切に…


「時間の芸術」である音楽。
その多種多様な演奏スタイルの中でオーケストラについては、勿論プロフェッショナル演奏家と社会人・小中高大生各演奏団体等のアマチュア演奏家とで根本的方向性は異なりますが、
勤務に従事・或は学業に励みながらオーケストラ演奏に取り組むその姿は実に真摯で謙虚、
「好きこそものの上手なれ・・・」との言葉がぴたりと当てはまります。
私は、数年に渡り都立中高一貫校管弦楽部指導の任に在りましたが、熱心な部員諸君とのその時は実に遣り甲斐があり、私自身初めてオーケストラ演奏をした明治大学付属中野高等学校時代を思い出し熱中しました。

想い出せば、「何もかも上手くいかないなぁ…」と感じていた期間には音楽そのものが
身体から離れてしまい、気持自体極めて消極的な感覚でした。
しかし八つの小節つまり ‶ ある時間の紆余曲折”を経、本来自分が居たいそして居るべき、
と思ったその場所に少しずつ復帰し、「とある日とある演奏団体で楽器を持たずとも
率先して演奏に参加し行く指揮者と言う特殊な稼業」に辿り着いた…と言う事なのですが、
人と音楽に向かう姿勢同様、「人生も謙虚にしかし積極的な姿勢で歩むべき」と感じました。

音楽演奏活動を稼業とするものにとって、様々な発想展開や喜怒哀楽の感情の変化等々に長けていればそれは嬉しい事で、指揮者もそう感ずる演奏家ですが、私はこれらの基礎の多くを改めて音楽演奏稼業から離れた八つの小節と言う時間に学び、多くの人々との一期一会が末広がりで
在って欲しい、と強く感じます。既にその小節はひとつまたひとつ、更にまたひとつ先へと
延びているのです。
これからも更に多くの人々・様々なジャンルの音楽演奏との一期一会を大切に、
そしてゆっくりと演奏指揮活動の現場を歩んでいく所存です。

ここ迄お読み下さったあなたと共に演奏出来る時……心待ちにして居ります。


画像の説明撮影:スタジオスペースフォト

…さぁ、開演のベル…。一緒に舞台へ、そして素晴らしい響きを奏でましょう!


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